むらぼくステーション

雑記、日記、要は奇記。

「敷かれたレール」って言葉は流行語大賞にノミネートされた?

レールって言葉が夢に出てきそうって話。

 

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僕は今までブログというものを書いた事が無いので、最近は色々な方のブログを見て勉強させて頂いています。

 

色々な方のブログを読んでいると本当に面白い!

オリジナリティのある文章だったり、知的で何を言っているかわからないけどなんだか凄そうな事を書いてある文章だったり、ただ単純にとっても笑える文章だったり。

 

ところで気になったのが、人気ブロガーさんの中には『敷かれたレールに乗るのが嫌だった』『会社を辞めて専業ブロガーになって自由を手に入れた』みたいな内容の記事を書いていらっしゃる方が大勢いますよね。

 

敷かれたレールに乗るのを止めたっていう設定のレールに乗っているようにしか見えないプロブロガーさん達が、なんだかさっきも見た様な商品レビューや、なんだかさっきも見た様な『本当におすすめの漫画10選!』みたいな記事をこぞって書いている事に正直、違和感も感じます。

 

そのレール、何台も同じような列車が走ってるよ。って。

 

レールを外れるって?

僕だって一度は首都に住んでみたい!

もう何年も前だけれど、そんな思いつきだけで学校を辞めた。

住む家のアテも、仕事のアテも無く、ただ上京した。僕が持っていたのは本当に僅かなお金と、お祭りのカメすくいで手に入れたカメ2匹だけだった。

これがレールを外れた事になるのかどうかはわからないけれど、この選択が僕の人生における最初の脱線事故だった事は間違いない。

 

というか『卒業してフリーランサーになります!』とか『プロブロガーになる為に会社辞めました!』ってのは『おしっこしてたら、うんこがしたくなったからうんこしました!』って言ってるのと大差ないのだと思う。

 

レールを外れる事が、今とは違う道を行くという意味ならば学校を辞めて普通の職に就くのもレールを外れる事だし、仕事を辞めて学校に行く事だってレールを外れる事だ。もうこの記事でレールって何回言ったんだろう。

 

レールというのは誰しもの前に無数にあり、そのレールの中から望む未来を自ら選択して生きている。我慢している、諦めるというのは選択しない事を選択しただけに過ぎない。

 

自分の事

僕がこのレールで得た物は数え切れない程有るけれど、経験したかった事、得られなかったもの、失った物はそれ以上にあるかもしれない。

 

都度最良の選択肢を選べていた訳じゃない。たくさん間違ってきたし、これからもそうなのだろう。

 

『これまでの選択に後悔なんて一つも無いよ!』って言えれば本当はカッコ良いのだと思う。でも後悔なんて人生のあちらこちらにあるし、もう一度同じ人生を歩みたいか?と聞かれれば違う人生を生きてみたい気もする。

 

でも、本当に本気でそう聞かれる日が来た時、僕はこの人生をもう一度と答えるだろう。学びたい事はこれから学べばいいし、やりたかった事だってこれからやればいい。色々と失ったからこそ手に入れた宝物がこのレールには多すぎるから。

 

 

おわり。

 

 

 

 

次回、『敷かれたレールを外れた僕が紹介する、本当に面白い漫画20選!!』

 

※レールを外れたみなさんスミマセン、これがしたかっただけです。